「努力して成果を上げれば必ず報われる」とは神は言っていない。
世界史の教科書の宗教改革でルターとともに、必ず出てくるカルヴァンですが;その教義を理解されている方は少ないと思います。(試験に出る世界史では、カルヴァン・ジュネーブ・予定説・長老主義でほぼ間に合うからです。)当時の権力者であるローマカトリック教会は、贖罪府を売って財源にしていました。そのカトリック教会に問題提起を図ったのがルターで、協会から破門され帝国から追放されます。その跡を継いでプロテスタンティズムに強い思想体系を与えたのがカルヴァンでした。この思想体系が現在の資本主義・民主主義の基礎になっていると言われています。
その思想体系のキーワードが「予定説」です。「神の救済にあずかれるかどうかは、予め決まっていてこの世で善行を積んだかどうかは関係がない。」とするものです。では「努力に関係なく、救済される人は予め決まっている」というルールでは、果たして人々は頑張れるのかという思いにもなりますがいかがでしょうか。この問いに関しては、マックス・ウエーバーが「全く逆だ。とても人々は頑張る!」という主張を展開しています。その理由は、「自分こそがこの選ばれた人間であることを証明するために懸命に働く」と説いています。
多くの方々が所属する組織・会社などは常に公正な「人事評価制度」の確立と運用を目指します。実際には「日々の努力⇒結果⇒評価⇒報酬」が本当に、相対評価のなかで納得がいくものになっていると感じている方は少ないのではないでしょうか。役員や社長になる方、部長になる方などは結果をみれば予め決まっていたのではないかと思わざるをえないことなど多々あると思うのです。だから馬鹿馬鹿しくなって努力などしないということではなく、とても救われる理論だと私は思っています。聖書に徹底して向き合いこの「神は予め定められた人たちを救済された」という内容を読み解いて、広めたカルヴァンは天才だと思っています。
確かに労働と報酬が数値的にぴったりと一致したら、逆に労働意欲は落ちると思います。年度終えるにあたり、評価に何の驚きも逆転も起きないとすれば面白くもなく働かなくなるでしょうからね。
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